jobq9153269
回答4件
健常者の対義が障害者であるとして、一般的に健常者は障害者に対し"大変だね"と「同情」します。この「同情」は、健常者と障害者の違いを基盤に相手を思いやることです。この同情や哀れみは上から目線になりがちです。同情するのではなく、健常者も障碍者も誰もが欠落を抱えていて、その欠落をお互いに補完しあえる関係を構築してください。
虐めという表現には問題を一般化しすぎる感じがあります。具体的なところで、犯罪レベルのことから、コミュニケーションの行き違いまで色々ありますので、詳しいことが分からない状態での回答は控えたいと思います。原因は様々です。また、健常者でもそうでなくても虐めは発生すると思われます。
"いじめ"のパターンは様々と思いますが、本当に能力が劣っている人(特に障害や外見等)をいじめると、自分が悪者となってしまうため、一般的にいじめには至らず「避けられる程度」と思います。 そのうえで、いじめて問題なさそうと思われた人がいじめられ、よくあるパターンとしては以下です。 ・群れの上位の人と意見が異なり、衝突する人 ・群れの多数と意見が異なり、複数人と衝突する人 ・群れの暗黙的なルールなど、空気が読めず勘違いした行動をする人 ・群れの中で妬みや嫉妬されやすい人で、状況を放置する人(もしくは嫉妬されやすい状況を生み出す人) 上記のような事が発端となり、少数のいじめ首謀者に周囲が共感していき、いじめになります。全部当てはまったら、恐らくその群れの中では過ごせません。 また「群れの価値観」によるため、いじめられる人のスペックが低いとは言えません。能力が高い人がいじめられることはあり得ます。 例えば「頭が悪い群れ」があったとして「頭が非常に良い人1名」が入った場合、群れを統率するような立場になる人もいるかと思いますが、人柄によってはいじめの対象になる可能性もある状況です。
「健常者」という定義がどうなのかなとは思いますが・・・。 逆に、感覚が鋭敏であったりしてもいじめられるという部分はあるのではないでしょうか。 いじめられる側になにかあるというよりも、いじめる側に何か問題があるのではないかと思います。 対人関係に問題がなかったり、感覚が人よりも優れているのであれば、いじめられる側の気持ちを 配慮したり、その人の気持ちも理解できるのでは?と。