jobq36860
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資本主義における社会貢献といったらこれはもう、売上を一円でも稼いで一円でも多く納税する以外にありません。 ところがそれが難しいから、ボランティアとかで「社会貢献してやった自分」という虚像を作り出すわけです。売上上げるのよりタダで現地行って指示通りに動くほうがお手軽でやった気になれますから。 結局、元になっているものは「社会的に正義として認められたい自分」という欲求だと思います。
原因ということは、何か悪い問題に対して、その原因・・という意味にとれます。学生や若者が社会貢献をしたいと考えることが、一般的には悪いこととは言えないかと思います。 質問者様は、どのあたりを問題とお考えでしょうか。 ボランティアそのものは1995年の阪神の震災によって100万人以上が活躍し有用性が認知され、2007年東京で高校の単位にボランティアが入り、2011年の東北の震災でまた100万人以上の動員がありました。 現地の人に喜んでもらい他人の役に立てる実感があった人も多かったのではないでしょうか。「急に増えた」のはもう20年前の話で、もう定着しているといっていいかと思います。
社会貢献がしたいわけではなく、社会に良い影響を自分が与えているならば、自分はそこに存在しても良いという、自己承認的な動機だと感じています。 子供の貧困や教育など、具体的になんとかしたいという思いを持っている人であれば社会貢献などという曖昧な言葉を使わないと思いますので。 震災やリーマンが原因かと聞かれると昔からそういう人は一定数いたので直接の原因とは言えないでしょう。 では原因が何かというと、自己有能感が感じづらいからだと考えられます。 景気後退とネットの普及によって、悲観的な未来と飛び抜けて優秀な人物像(学生起業、エンジニア、リア充)の偶像化が行われているので、自分みたいな普通の人間であっても役に立ち、存在しても許されるという感覚を得るために社会貢献を持ち出しているのではないでしょうか。 また、それが仕事ではなく、社会貢献によって価値を認識したいというのは、単純に見えている世界の問題で、ビジネスや社会人としての価値を発揮する方法はイメージできないけど、世の中の人たちがそれは大事だよねという社会貢献テーマであれば想像出来るからだと思われます。 要は、自分に自信がないから社会貢献と言っているだけだと思いますよ。