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回答7件
日本の教育は、いまだに記憶を第一にしたやり方で物事を考えることを重視しません。 典型的なのは、歴史教育でなんでこの事がおきたのかを考えさせることが重要であるはずなのに 何年何月に何があったかが先にきます。 議論もそうですし、プレゼンもそうですが 欧米に完全に負けていますね。 へたするとシンガポールやアジア先進国にも 負けているかもしれません。 戦後教育を見直して、文系、理系もやめるときがきています。今や文系理系も融合して学問もやられてます。垣根をこえてやれる制度を整備して、 これから10年20年後の日本を考えて欲しいものです。
一番は頑張ることが良いことだという美徳を重んじた教育が根付いてることだと思います。 欧米諸国では、結果=努力の賜物であり結果が出ない場合はすぐに努力の仕方やベクトルを見直す癖が着くそうです。 日本人は黙々と努力出来る一方、それが間違ってると疑わないから空虚な自尊心ばかり育ってしまう。 頑張ることは良いことだが結果のための努力で無いと意味がない。努力のための努力をキチンと無駄だと言ってあげられる教師が増えてほしいものです。
教育に関して細かなことはわからないですが、 みんな同じレールの上を歩くんだ、と思わせるような教育が良くないんじゃないかと思います。 本来ならば人の数だけ生き方があって、もっと自由にしていいと教えるべきなんだと思います。 しかしながら、現在の日本では、マイノリティは除け者にされる傾向にあると思いますし、マジョリティになりたい、正しい、こう思っている日本人が多いのではないかと思います。 まさにこれこそが、日本の教育の現状なのでは?と個人的には思います。 もっと海外のように個人を尊重する、みんなと違うことが恥ずかしいことではない、これをしっかり教育の現場で教えられることが、自立性や1人1人が自分の考えを伝える能力に関わって行くのではないかと考えます。
全般的にはそんなにダメではないと思います。キャリアのサイトなので会社に引き付けて言えば自主性とか想像、自分で考えるっていう用語はしばしば「オレの想定の範囲内で考えろ」「オレの考えていることを想像しろ」みたいなエスパーを要求してたりするので、真面目に考えるほどではないです。 そのうえで、問題点としては、あまりにお金に対して忌避が強すぎて、あさっての方向の活動になってるのが気になります。 ベルマークやプルタブは「必死になって集める」ものではありませんよね。健康な若者が駅前に突っ立って募金活動をするぐらいなら、自分で稼いで自分の意思で必要な活動に寄付するほうが健全ですよね。 無償といったら全部無償にすればいいのに、先生の給料は授業料で払わなくてもいいけど、給食はお金が必要だから払えって論理はおかしいですよね。子供がいる家庭だけではなく地域全員で負担すればいいのに、という観点からは税金にするのがいいはずなんですけどね。 自分の出身校への寄付での税額控除の比率を高くして、OBからどんどんお金集めればいいのに。
学校が何よりも優先されるという考え方が問題だと思います。みんなが画一的な教育を最優先にするせいで、独創性が失われていきます。たまには小学校をサボって秘密基地を作るような日があっても教育としては悪くないと思います。
英語教育を文法教育にしてしまったこと 金融教育をしていないこと レールから外れると将来困窮するリスクが高まることを教えないこと レールから外れても大丈夫な生き方を教えないこと