イメージパナソニック本社の2/3のイメージ。 昇給は緩やかで、30歳前後にランクが上がらないと基本横ばい。
店頭系の現場社員でなければコントロールしやすい方。有給も取得しやすい雰囲気。
無駄な研修が多く時間が取られるが、一応充実はしている。評価制度は昔ながらの年功序列。50代にならないと課長係長にはなれない。そもそも課長以上はパナソニック本社からの出向者だらけ。
地方から転勤すると、都内でも最大10万円近くの家賃補助が出る。昔はもっと出ていたらしい。パナソニックグループの保険などにも入れるので、その点は手厚い。
若手は男女関係ないが、50代の部長クラスは全員男性。販売会社・営業会社なので仕方ない。
松下幸之助の経営理念を、思考停止しながらインプットさせられます。普段の販売における方針発表でも内容はお粗末。「勝ち切る」「推進」「強化」のような抽象ワードがお好きなようです。
国内の家電市場の縮小、海外メーカー・専業メーカーとの競争激化により本格的に厳しい。
選択と集中をしましょう。不採算ルートからは一刻も早く撤退するべき。
4年半程勤務しました。(19歳〜23歳) 当時の年収で500万円前後あり、同年代の周りと比べると給与は多かったと記憶しています。 ただし、これは残業代込みの額面金額です。残業代に関しては、自己申告制で、PCから残業時間の申告を行っていました。申告した分に関しては100%支給され、みなし残業等はありませんでした、 昇給に関しては、期初に自身て目標を立て、期末にその取り組みについて報告し上司が評価します。その評価により査定が行われ、昇給額が決定しますが、良い評価、悪い評価にそこまで差は無く、また大部分の人が普通の評価になっていました。当時の昇給額は5000円程度でした。役職が上がると別で1〜2万程度昇給していました。 賞与は当時で年間4.2ヶ月程支給されていました。基本給のベースが低いため、額面金額で40万ぐらいだったと思います。 外回りの業務でしたので、1日700円の昼食補助のような手当てがありました。 給与の面に関しては不満はありませんでした。