ユーザー名非公開
回答5件
都心のコンビニを見ればわかりますが、 中国語、英語、日本語の話せる中国人 英語、日本語の話せるバングラデシュ人 等々、バイリンガル、トリリンガルなどザラにいます。 しかも時給1000円で。 英語がしゃべれないと日本語がしゃべれないと同じ扱いになっていくのではないでしょうか?グローバル化した社会では。 尚、私は日常酔っぱらい時の会話しか成立しませんので、まだまだ勉強中ですw
Skypeの同時通訳機能など、進展はあるもののしばらく時間がかかると思います。私は海外で仕事をしておりましたが、英語が使えるアドバンテージは非常に高いと感じております。 ご参考になれば幸いです。
「誰も彼も英語が必要」な時代は来ないと思います。通常の仕事での、ネット経由の文章や会話は近い将来に翻訳精度が十分になると思うからです。 その意味で、中途半端な英語力は無用になると思っています。 しかし、パーティで仲良くなったり、腹を割って話をしたりするのに翻訳機というわけにはいかないでしょう。 なので、高い英語力は相変わらず有用と考えています。 自由に移動できるヨーロッパですら自国語しかできない人は多いわけで、一億人を擁する日本の経済圏なら、共通語は今後も日本語だと予測しています。
@ユーザー名非公開: 自分の現状からお答えすれば、その翻訳機とやらがビジネスで活用出来るレベルになるまで待っている間にキャリア上のチャンスロスが発生する可能性があるので、引き続き英語学習は続けますね。あと、ウェアラブルな翻訳機だったとしても、コミュニケーションにラグが生じたり、人工的な感じがして少し抵抗感はありますね。(ドラえもんの、ほんやくこんにゃく的なものなら違うかもw)
この質問の趣旨は、下記でよいですかね? 「近い将来、精度の高い翻訳機が発明されるはずだから英語学習は無駄だ」 ・自分で時間やコストを英語学習に投下するのは無駄になるのでは無いか ・あるいはやりたくない ・あるいはやらなくても年収その他は変わらないのではないか と思っているのであればやらなくてもいいんじゃないですか。 目的があって、その手段として英語が必須なのであれば、それをそのように考えることが必要だと思いますが。