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回答1件
採用側の人です。 結論からすると、全く採用可否に影響しません。 それは、あなたがその会社でがんばってくれるかどうか全く関係ないことだからです。 「必要に迫られて、生活上行った裁判」でしかありません。 採用側の私からすると「必要に迫られて、生活上行った貯金」と大差無いです。 何度でも言いますが、会社でがんばってくれそうと思えるかどうかが重要です。 裁判経験を通じて「私はこの会社でがんばれる何かを得ました」であれば希望は見えます。 がしかし、普通に裁判やった話だけでは 「それは弊社でがんばる要件にはなりませんね」と思われるか、「なんかヘタ打ったらすぐ訴えてきそうだな。お祈りメールも気をつけて打とう」と思われるかのどっちかです。 裁判経験に関係なく全ては言い方の問題です。 ぶっちゃけバイト経験だって、会社の業務をがんばれるかどうかとしての指標としては意味がありません。 バイト経験を通じて、どう会社でがんばっていけそうかのプレゼンの質そのものが問われるわけです。 最近はどのキャリア相談もそうですが、自分がどう武装するか?どう演出するか?そういう言説が蔓延しています。 採用面接における相対する面接官は一人の人間で、その人間の要求する希望にいかに答えるか?それが面接であり、面接とは自分を売り込む営業活動だと思います。 「私はこんなスペックです」という経験の羅列はいわばNECのパソコンと一緒です。 AppleのPCは「Macbook使うとこんな生活が!」というアピールでスペックを一切謳わない戦略を取って今のブランディングになっています。 裁判経験を通じて何を得て、そういう人材を取った時にどういう世界が待っているか、それを語らない限り、裁判もバイトも学業も何もかも意味がないことになるんです。 その辺を念頭に、裁判経験をどう語るかについて考えた方がいいと思います。