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小さな会社を経営しております。プログラマーです。 ポエムですね。 あなたの幸せは一揃えの財とサービスから成り立っています。最低限でも質問者様の体を作る水分、たんぱく質、糖質、脂質はいったいどこから来るのでしょうね。毎日2000kcalを摂取する必要があります。身の回りにある数々の物はどういう経緯でそこにあって、あなたの幸せを支える人々はなぜあなたに奉仕してくれるのでしょうか。 経済は、多くの場合は交換を通じて獲得されて動いています。商業的な取引は交換後にどちらも満足するような条件での交換です。事後的に双方満足であることと、取引しない自由が必要条件です。この2つの条件が揃わないと長期的・全体的には継続できません。多少は成り立っても継続できないことは「悪いこと」とされています。ただ、生活上の理由から何も提供できない人でも生きてゆくのは必要なので、みんなで集めた資源を分配するのは許そうよ、ということになってるみたいです。私がそう思ってるのではなく、制度がそうなってます。 ですから、ほとんどの人にとって日本に生活保護の人が何人いても、実際はそれほど生活には影響ないのに、なぜだか批難されますよね。何も提供しないのにお金を受け取ることは倫理的に悪いことで、権利であるはずの生活保護ですらお涙頂戴の理由がないといけないみたいになっています。 ただ、社会貢献ってつまり生活するのに交換すればいいので、提供するものは労働力である必然性はないです。 周囲のみんながお金を払ってでも質問者様の幸せな姿を維持したいと考えるならば、幸せな生活をすることで社会貢献をすることも可能ですよ。
じゃあ世の中に価値を提供せずに生きていく方法について考えてみましょう。 まず、生きていくには少なくとも、食べ物と着る物と寝る場所を探さないといけません。 自分でそれらを探すのが大変なら、誰かにもらっても大丈夫です。ただ、関係のない人が急にあなたに、食べ物と着るものと寝る場所をくれることはないでしょう。おそらく、それらを貴方に無償でくれるのは、あなたの大切な人(親か恋人か親友)でしょうね。ひとまず、彼らに貰えばあなたは世の中に価値を提供せずに生きていけます。 ただ、この場合、あなたが大切な人にもらった食べ物や着る物、寝る場所は、あなたの大切な人たちがあなたの代わりに、お金を払って手に入れた物でしょう。彼らは、一人一人が人間ですので、あなたにあげるモノを買わずに、自分が遊びに行ったら自分の好きなものを買うこともできます。この場合、あなたは、彼らに贅沢を我慢させていると言うことを自覚して、彼らに感謝しましょうね。 こういう生き方もありだと思います。一般に専業主婦やニートと呼ばれている方々の生き方は、この生き方に近くなります。(専業主婦は、毎日重労働な家事をしているので少し違うとも言えますが、、、) とは言え私の場合は、大切な人が自分のために何かを我慢するのはできるだけ避けたいですし、大切な人たちが何かをやる時に足も引っ張りたくないので、自分でお金を稼げるように考えますかね。
そんな風に思える素敵なあなたなら、社会に価値を届け、かつあなたも幸せに感じられるお仕事は山ほどあります。 例えば、あなたが美味しい食事を提供出来るコックだったとして、あなたが作ったものを美味しい喜んでくれるお客さんが居たら、あなたも嬉しいし、お客さんは喜んでくれたので、立派に社会に価値を届けたと言えるでしょう。 あなたが、服屋の店員だったとして、あなたが選んだ服でお客さんがオシャレになって、それがきっかけで恋人が出来てありがとうと言われたら、あなたも嬉しいし、これも社会に価値を届けています。 私は製薬会社に勤めており、私が医師に提案した薬によって何人もの患者さんが救われてきました。これもまた価値を届けている事になりますよね(^ ^) あなたも幸せを感じられ、お客さんも喜び、お給料を得られる、仕事ってサンタさんみたいな楽しい事なのです。 悲しそうにしている人や、悲壮感漂ってる人は仕事をしてないのです。 世の中には間接的な仕事で、自分の仕事が何の役に立っているのか分かりづらい仕事もたくさんありますが、あなたは自分の仕事がどんな風に社会に役立っているかが見えやすい仕事が向いていると思いますよ♪